「脳卒中を治す」のではなく、「原因を知ってもらう」
昭和40年(1965年)当時の長野県は、長寿県ではなかった。脳卒中による死亡率は全国1位、平均寿命は男性9位・女性26位。この状況を変えたのは、行政の号令ではなく、一人の医師と、地域住民自身の50年だった。
1945年〜
佐久総合病院に赴任した若月俊一医師らが、農村を回り予防医療を説き始める。同じ頃、住民自身が2年任期で保健師を補助する「保健補導員」制度が広がり始める。
1959年〜
国保浅間総合病院の吉澤國雄院長が、公民館を一軒一軒回り「脳卒中になる理由は塩分の摂り過ぎであることを知ろう、そして予防しよう」と説いて回る。
1980年
これが県全体の「県民減塩運動」に発展。1日の塩分摂取量15.9gが、1983年には11gまで減少する。
現在
長野県は野菜摂取量が全国1位(379g/日)。保健補導員の仕組みは今も続いている。
行政が上から決めた政策ではなく、住民自身が住民に教えるという仕組みが50年続いたこと自体が、他県にない長野県の資産だと言える。
ただし、「克服した」わけではない
ここからが本題。50年分の努力の結果、長野県の脳卒中は本当に消えたのか——公的統計を今のデータで確認すると、意外な答えが出る。
| 指標 | 長野県 | 全国順位 | 全国平均 |
| 脳梗塞死亡率(人口10万対) | 74.43 | 9位/47(高い方) | 49.06 |
| 食塩消費量(g/年・世帯) | 2,819 | 4位/47(高い方) | 1,899 |
| 野菜摂取量(g/日) | 379 | 1位/47 | 301 |
| 糖尿病患者率(人口1万対) | 245.66 | 32位/47(低い方) | 259.58 |
| 平均寿命・男性 | 82.68歳 | 2位/47 | 81.49歳 |
脳梗塞の死亡率は、今も全国9位の高さ。塩分消費量も今なお全国4位。つまり「野菜のおかげで脳卒中を克服した」というのは正確ではない。50年間の努力は摂取塩分を大きく減らしたが、他県と比べたリスクの高さそのものは、今も残っている。
野菜と糖尿病の関係は、実はそれほど強くない
「野菜を食べれば生活習慣病が減る」という仮説を、47都道府県のデータで検証してみる。横軸は野菜摂取量、縦軸は糖尿病患者率。
野菜摂取量 × 糖尿病患者率(都道府県別)
全国平均より糖尿病患者率が高い
全国平均より低い
相関係数は r = —。弱い負の関連(野菜が多い県ほど糖尿病がやや少ない傾向)はあるが、決して強い関係ではない。長野県はこの弱い傾向の中でも際立った外れ値——野菜摂取量が突出して多く、糖尿病もやや少ない側に位置する。
野菜だけで説明がつくなら、47都道府県はもっとくっきり並ぶはずだ。長野県が際立っているのは、野菜の量そのものというより、それを50年間、住民主体の仕組みとして続けてきたことにあるのかもしれない。
データと方法について(正直に)
- 脳梗塞死亡率・食塩消費量
- 第1回「あなたの県は、脳梗塞で何番目に死にやすいか。」と同じデータ。総務省「家計調査」(2014〜2018年平均)、厚労省「人口動態統計」(2016年)。
- 野菜摂取量
- 厚労省「国民健康・栄養調査」(2010年、20歳以上男性、都道府県別)。
- 糖尿病患者率
- 厚労省「患者調査」(2017年、人口1万人あたり)。
- 平均寿命
- 厚労省「令和2年都道府県別生命表」(2020年)。
- 長野県の歴史的な経緯
- 1965年当時の順位・1980年の県民減塩運動・塩分摂取量の推移は、佐久総合病院の活動を伝える報道記事を参照。一次資料(長野県庁公表資料等)による裏付けは今後の課題として残る。
- 相関について
- 本ページで計算した相関係数は関連の強さを示すもので、因果関係を証明するものではない。